先日、名著と言われる「センスオブワンダー」を読んでみた。
そこで、やっぱりこどもには自然に触れる機会を増やしたたいなと改めて思ったのだが、幼い頃の自分にとって身近な自然のひとつに「かんしゃ山」があったなということを思い出した。
こどもの頃、私は長期休みのたびに祖父母の家で過ごしていた。
海沿いにあるのんびりした田舎の町の日々は、大切な思い出であり今の私の一部である。
「かんしゃ山行こか」
祖父はたまにそう言って山に連れていってくれた。
山といっても、家から歩いて登って行って帰ってを全部合わせても半日かからなかった。
散歩ができる丘のような公園という立ち位置のものだったのだと思う。
「かんしゃ山」というのは正式名称ではない。
本当の名前は別にあり入り口付近に書いてあったと思うのだが、家族皆その名前で呼んだことがなく覚えていない。
祖父の示す「かんしゃ」は「官舎」のことだったらしいと知ったのは、随分大人に近づいてから。
官舎の近くにある山ということ。
海上自衛隊関連施設がある地域だったから、そのことなのだろう。
しかし名前の由来は、当時の私には興味がなかった。
だから終ぞ、答え合わせをすることはなかった。
祖父と一緒に「かんしゃ山」に向かい、そこに生えている草や羊歯、木や蔦、踏みしめる土や石、落ちているどんぐりなどを見るのがただ楽しかった。
小さな山だったけれど、少し視界を切り取ればたくさんの種類の植物がいて、草の「緑」も土の「茶色」も1色では表せない鮮やかさと変化があった。
腕を揃えて振り、前に後ろにパンパンと手を叩きながら歩く祖父についていき、散策をした。
祖父は特段「物知り博士」でも「ガイド」でもなかった。
たまに「これは〇〇」と教えてくれたことはあったけれど、それはあくまで雑談だった。
ゆっくりと斜面を登り、1番上まで来たらそこでほんの少し休んで、またゆっくりと降りていく。
そのときの会話はもう思い出せない。
どれもきっと、たわいのないものだったのだ。
30年ほど経った今思い出せるのは、少し湿った羊歯と土と木の芽のある斜面の一部分と、少し遠くを見たときのゆるやかな地面のカーブと、祖父の笑顔だ。
幼い頃に何度も見たものだ。
私は都会といわれるところで育ったが、自然は感覚的にそばにあり、たくさんの楽しさを与えてくれるものであり、色彩豊かであり、ずっと消えずにいて欲しいと願うものだ。
記憶は断片的にしか思い出せないし、連れていってくれた祖父の顔も、亡くなって何年も何年も経つなかで輪郭がぼんやりとしだしている。
けれど、自然に対する思いと、自分の心のなかの一部はあのかんしゃ山が育んでくれた。
かんしゃ山にかんしゃ。
ありがとう。