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子育て

丸い影のままだったふたり目の子の話【稽留流産】

丸い影のままだったふたり目の子の話

検査薬を使ってやっぱり、と思う。ふたり目の子を妊娠したのだった。夫にほらとみせて喜びあって、長女がとうとうお姉ちゃんになるんだねぇと笑った。
水やお茶では癒せない変な喉の渇き、お腹がすくと気持ち悪くなる感じ、軽い乗り物酔いのような感覚。久しぶりのつわりに、ああ前もこんなだったと思い返す。


後日病院で妊娠を確認。ただ、心拍はまだ確認できないという。長女のときも初回はそうだったし、生理周期が長めなのもあって目安よりもちょっと実際の週数が短いのかもという話も聞いた。次回楽しみだな、と思っていた。
この感じだとまた保育園は0才の4月入園で丁度いいなとか、まだまだおっぱいをほしがる長女の卒乳も考えないととか、電車があまり混まない別ルートで定期を買い直そうかなとか、色々話をした。つわりであまり料理できないかもと冷凍食品やレトルトを増やして、長女妊娠のときのマタニティマークを棚からひっぱり出した。

しかし。次の健診でも心拍は確認できなかった。
流産になる可能性が高い、とのことだった。

なかなか事態が飲み込めなかったが、超音波検査の写真を差し出し「持って帰られますか?」とわざわざ聞く先生を見て察した。あぁ、無理な可能性が高いんだ。

ぼんやりした頭で病院を出ると、ひんやりした静かな夜空に冴えた月が浮かんでいた。
いいよ、と優しく言われている気がした。じわじわと視界が滲んできた。
人気のない道を、涙が流れるままに帰った。付けていたマスクに涙が染み込んでいった。


帰って、手を洗ってからすぐにちゃーちゃん(お母さん)と言って何度も抱っこを催促する長女を抱きしめた。先にLINEで伝えていた夫が私を抱きしめてくれた。どんどん泣けてきて、子どもみたいに泣き続けた。夫にお母さんを取られたと嫉妬してごねる幼い長女の様子が、場を少し和ませてくれた。


その後の健診で、「流産の可能性が高いがはっきりとは言い切れない」と言われることが何度か続いた。
マタニティマークは鞄の奥底に仕舞った。つわりで迷惑をかけるかもしれない職場の数人以外に、妊娠を打ち明けるタイミングを無くした。つわりだけは軽いながらもなくならず、なんとも言えない気持ちだった。体調がいい子育ての空き時間は少し前に手に入れたゲームのあつ森をやっていた。何かに打ち込んでいたかった。

そしてとうとう、流産が確定した。稽留流産だ。

やっぱり、写真を「持って帰りますか」と聞かれた。これ以上増えない写真。はいとだけ言った。
1才の幼い子がいて急に預けるのが難しいということ、年末年始に体調を崩すと大変だということを考慮して、子宮内を掻き出す手術をすることに決めた。日程に余裕がなく、直ぐさま手術の日取りが確定した。流産確定から1週間もない、クリスマスの日だった。

長女の寝かしつけで一緒に寝落ちすることが多いのに、その日の夜は妙に目が冴えていた。暗い寝室で「眠れそう?」というお医者さんのことばを思い出す。長女が起きている間は悲しむ間もなかったが、急に心細い気持ちが湧いてきた。
夫が寝室に入ってきたとき、布団に潜り込んで抱きついた。夫は「頑張った」と言って撫でさすってくれた。夫の寝間着で埋まる視界とあたたかさにほっとして、たくさん甘えた。ひとしきり泣くと、いつの間にか眠っていた。

手術当日。

タンポンのようなものを入れて膨らませて入り口を広げ、麻酔の準備としての点滴をして手術に備える。意外とある待ち時間に、気もそぞろに本を読んだりして過ごす。

麻酔は、以前行った手術で経験したときは数秒間で眠りについたが、今回のものは種類が違うようだった。一瞬強いお酒を飲んだように喉のあたりがカッとして、次第に頭がぼんやりしていった。


終わりましたという声で気がついて、言われるままにころりと転がり移動用のベッドに移り、そしてまたころりと安静用のベッドに移る。手術前に付けていた生理用ショーツに生々しい血の感触がするがまともに体が動かせない。最初に起き上がるときは介助をするから呼んでと言われて、看護師さんが去っていった。

麻痺した頭で、まともに思考ができない。目を閉じると眠りに落ちて、短い夢を見て、起きて直ぐさま忘れて、何もできずに目を閉じてまた眠る。それを何度も何度も繰り返す。
少しずつ目と頭が覚めてくると、どうしようもない喪失感が湧き上がり膨らんでいった。初期の流産は親のせいではない。それは調べたしお医者さんにも言われたし知っている。でも悲しくて悲しくて仕方なかった。両目から涙が零れて、枕にぱたぱたと落ちていく音がした。


時間が経って、術後の経過をみてもらった。お医者さんに良好だとお墨付きをもらった。
ここからしばらくお風呂に浸かれないし、安静にもしている必要がある。でもそれは大きな問題ではなかった。
意外と元気な自分に少し戸惑った。いきなりお腹の子がいない生活に慣れそうで。でもお医者さんの「眠れそう?」のことばに目が潤んだ。体は大丈夫でも、心はやっぱり傷ついている。そのあと優しくことばをかけてくれたけど、泣いてしまってちゃんと覚えていない。


家では長女が熱烈歓迎をしてくれた。日中ずっといなかったから寂しかったんだろう。寝かしつけをするまで、しんみりする間もなかった。


その日の晩、もらった写真を並べた。妊娠が確定したとき、流産の可能性が高いと言われたとき、流産が確定したとき。どれも丸い影でしかないふたり目の子。たった3枚の写真。けれど貴重な、この世にいた証。
長女のものを飾っていたアルバムに一緒に入れることにした。並べると、成長が止まっているのがよくわかる。長女は同じくらいの週数で人の形になってきていた。

本当に、妊娠できること、妊娠が継続できること、出産できること、無事に成長できることはどれも奇跡なんだ。アルバムを閉じながらまたじんわり涙が滲んだ。

私と夫と、おてんばな長女で楽しく過ごしてるから。
だから、いいなと思ったら、良かったらまたおいで。

そして、悲しいときに寄り添ってくれた夫、悲しむ暇を与えず悲しみを癒してくれた長女、本当にありがとう。